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あれから15年

2010.01.17 Sun

15年前の早朝、阪神淡路大震災がおこりました。

つい先日のことのように思うのに、もう15年。

その日を私は大宮市(現:さいたま市)で迎えました。
おなかには二人目の子ども。
もういつ生まれてもおかしくない私は、期待と少しの不安を抱えて、なんだか泣きたくなるような幸せな気持で過ごしていました。

その1年前まで、兵庫県宝塚市に住んでいました。
芦屋には中学からの親友も暮らしていました。
震災の被害は、神戸を中心に、芦屋、宝塚にもおよび、大きな被害が出ました。

その日、私は一度もテレビをつけていませんでした。
午後、夫から電話。

「神戸がたいへんだぞ。知ってるのか?今すぐテレビをつけろ。」

宝塚の知人も
芦屋の親友も
当然のように電話はつながらず、安否が心配で夜までテレビのニュースをつけたまま、まんじりともせず過ごしていました。

宝塚時代の最寄り駅で、電車が横転している様子も報道されていました。

当時5歳だった長男は、「燃えているまちの映像がずっと流れていたのを覚えているよ」と15年後の式典のニュースを見ながらつぶやいていました。

翌日には心配していた芦屋の友人から「大丈夫だからね」と電話。
ライフラインは壊滅で
彼女自身、1歳の子どもをかかえ、その直後には重い荷物が子どものベッドの上に積み重なった部屋の様子を見て「もうだめだ…」と凍りついたといいます。
幸い、荷物はかろうじて子どもの横に落ち、無事でした。

私がまだ宝塚に住んでいると思い込んでいた大学時代の先輩は、実家に確認し、今は埼玉にいることを知って
「無事だったんだ…」
と安堵しながら、「どれだけ心配したか」と怒ったような声で電話をくれました。

それから数日後、私は二人目の子どもを出産しました。

次男は、生まれた瞬間、生きてるよ、ボクだよ、と精一杯自己主張するように、小さな体で、大きな声で、産声をあげていました。

私たちは
「友」達を、助け「起」こすことができる人に、という願いを込めて
「友起」と名づけました。

明日がある
明日も会える
そんな約束は誰もできないのですね。

きょう、誰かとのつながりにしこりを残していたら
こじれた中で絆が途切れてしまっていたら
どんなに悔いても、もう相手に「本当の気持」を告げることはできない。

ありがとう
大好きだよ
と伝えることもできない。

そんなことを思うと
今すぐ会いにいきたい人もいる…
ということに気づきます。

15年前のこの年は
出産後、まもなく東京ではサリン事件。
その日、夫は同じ路線の電車で移動中で、少しの時間のずれで難をのがれました。

夏には夫のはじめての転職で、徳島に引越し。

時代も、個人としても、めまぐるしい変化の中で、過ごすことになります。

あれからもう15年。

子どもたちはすっかり大きくなり
私たちは、さらに3度の引越しを経験し
これまでの人生でいちばん追い詰められ、いちばんもがき、でもいちばん充実して、前に進んできた日々でした。

そして今は、当時は想像すらしていなかった流れの中で、やはり走り続けています。

明日はないかもしれない
だから、今日を、丁寧に紡いでいきたい。

そんなことを思う今日という日。
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