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スナフキンとソーシャルメディア

2010.09.05 Sun

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スナフキン
このところの私の想い人です。

ずっとそばにいてほしくても、けっしてそうはならない。
ふらっと旅に出る彼をとどめておくことはできない。

だけど、旅先で出会ったことをからだいっぱいにまとって、かならず戻ってきてくれる。
そして、つかのま、とどまり、深い示唆を与えてくれる。

さらにこんなこともさらっといってしまうあたりが、もう、完敗です。
「誰かを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ 」

…と、私はここでスナフキン賛歌をくりひろげたいわけではありません(笑)

この旅人スナフキンのありかたが、この夏、企画させていただいた嘉悦大学大学院夏期講座「ソーシャルメディア時代のワークスタイル」から、竹内が得たことの象徴だなと思うのです。

嘉悦大学大学院の夏期講座で3回にわたって実施した
「ソーシャルメディア時代のワークスタイル」

最終回が先週の日曜日に終わりました。

ご報告します。

いつもなら翌日にはレポートするところなのに、1週間遅れのご報告になったのには、わけがあります。

今回の講座は、院生企画として、3回を通して自由に企画をさせていただいたものなので、私なりに、全体をとおした構成はあったのですが、その想定を超えて、最終回は幕を閉じました。

どういう想定の超え方だったかというと、
今回の講座は

単に、このところ台頭してきた便利なツールのソーシャルメディアの実態やノウハウを皮相的になぞるものではなく、生きかたそのもの、社会の大きな変化、うねりそのものを深く考えるきっかけを与えるものになったのです。

それは、意図してそうなったのではありませんでした。
結果としてそうなったのですが、もしかしたら、私の中の潜在意識の海の中には、そうなるようにあらかじめインプットされたものがあり、それがアウトプットされただけなのかもしれません。

それは、いったいなんだろう…
と内省し、熟成させる時間が必要でした。

まず第1回の講座では「風の民、土の民」という概念が出てきました。

あらたなものをみつけ、運んでくる「風の民」
それらを定着させて、具現化する「土の民」

まるでスナフキンとムーミンのようだと思ったので、冒頭のスナフキンにつながったのですが、

社会にはそれぞれの役割を果たす人達がいるわけで、そうした流れがソーシャルメディアによって、よりダイナミックになってきている…
というオープニング。

さらに自分ブランディング
キャリア形成にソーシャルメディアが果たす役割とは
などなど

第2回講座では、具体的なメディアの紹介とその活用方法。
さらに、自由で伸びやかな働くスタイルを実現させている「あきゅらいず
と、その価値観を地域メディアを通じて、まち全体に具現化する「ハッピーうーたん」。

この場合は、あきゅらいずが風の民になるのかな…

ワークスタイルの新しさに触発を受けた参加者の方たちも多かったと思います。
この不思議な感覚はなんだろう…

時代は、どうやらこの不思議さが先駆的に指し示している方向を向いてすすんでいるらしい、と感じた第2回。

第3回講座では、講師の小山龍介さんと参加者の三鷹CB研究会の堀池さんのやりとりが圧巻でした。

ビジネスの世界の人のはずの小山さんですが、堀池さんの質問がきっかけで、用意していたシナリオをあっさりすてて、ホワイトボードを書いては消し、書いては消し、縦横無尽に論を展開しました。
このあたりの、引き出しの多さ、深さはさすがです。

地域
ネットワーク
フラット
集合知

地域と地域をつなぐ「水平ノマド」
同じ地域の中で複数の顔を持つ「垂直ノマド」
この重なりにいる人がキーマン

といった言葉がどんどん出てきました。
それらは、私がイメージする多摩CBネットワークのあり方にも通じていました。

異なる地域から集まるゆるやかでフラットなネットワーク
そこに地域を越えて集まった集合知

それらをどう自分にインプットし
どう持ち帰ってアウトプットするか

小山さんの解は、ロジックにとらわれず、無意識の力を使うこと、ということだったのですが、
そのたとえとして立花隆や村上春樹や浦沢直樹などのエピソードがちりばめられ、さらに広がり、でも時間が来るとちゃんと収束し…

これだけをよんでも、わかりづらいですよね^^;

と思ったら堀池さんも1週間遅れの記事をブログに書いてくださっていたので、そちらもあわせてご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/sukoya2008/archives/1343395.html

なかば放心状態(?)の第一部のあとには、さらに、にしがわ大学の新しくて、しなやかで、感性がきらきらはじけるような事例のお話があり

企画者である私が、じつは一番わくわく喜んだ一連の講座でした。

終了後は、お約束どおり、がっつり食べて飲んで
もちろんこちらも楽しかったです。

ということで、ことばでレポートすることはむずかしいですが、いまだに熟成がすすんでいる途中経過の講座レポートでした。
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さいごのビンタ

2010.09.01 Wed

ほんとうはたくさん書くことがあります。

大学院で企画・運営を担当させてもらった「ソーシャルメディア時代のワークスタイル」が無事、3回の講座を終えたこと。
たくさんの出会いがあり、たいへんだったことも吹き飛ぶうれしいメールを参加の方たちからいただいたこと。

今、Mystyle@こだいらで同時進行に走っている5つの連続講座のこと。

次年度事業に向けて、企画・調整が大詰めなこと。

などなど。

Mystyle@こだいらは、もうノンストップで疾走しています。
その張本人でありながら、俯瞰してみているべつの私もいたりして、なんだか複雑な構成の人格になっている今日この頃です。

このブログは、Mystyle@こだいらの竹内だったり、ただの竹内だったり、素のままの自分でいたいな…ということで、今、いちばん、心が動いていることをおもむくままにつづる場です。

ということで、ここで今、文章をしたためているのは、心が動いたから。

きょう、にしがわ大学の学長の酒村なおさんに取材をしていただきました。
とてもピュアで感性が豊かな酒村さんとお話しているうちに、触発をうけたのか、過去のさまざまな場面がフラッシュバックしてきて、とまりません。

それもなぜか母の記憶とつながることばかり。
どうやら、今日の私は、こどもで居たいようです。
そんなときは、その気持ちのままに揺られて漂ってみるのもいいかもしれません。

漂う中でうかんでくるのは…

日傘をさした母の後ろを歩いた麦畑。小さかった私は麦畑の金色の海にうずもれてしまいそうでした。
レース生地の母の日傘の影が、光を受けて踊っているようでした。

喧嘩したのか、わぁわぁ泣きながら帰ってきた私を、膝に抱いて、背中をとんとんなだめながら、夕飯はなにがいい?好きなものつくろうね。って言った、やわらかく微笑んだ母のアルトの声。

それから
   
    それから…

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写真は、この夏、両親の墓参で愛媛に帰省したときに、JRの車窓から写したものです。
こんな瀬戸内海の風景がいつも身近にありました。

脳梗塞で倒れた母は、最期の数年間は、ほぼ寝たきりでした。
感情をつかさどる深い部分で出血し、手術は難しく
それまであんなによく笑う母でしたが、笑顔もなくなりました。

最後の1ヶ月、食事もとれなくなり、昏睡状態で、体も麻痺して動かない母のそばで、私は二人きりになると、こっそりこどもに戻って、「お母さん、あのね」と誰にも明かせないつらい胸のうちを問わず語りでつぶやいていました。

甘えてみたかったのですね。

そんなある日
弱気につぶやいていた私に
もう動く力もないはずの母が、私に向かって手を伸ばしました。

えっ?
って思った次の瞬間、飛んできたのは母の往復ビンタ。
もちろん力はほとんどなく、弱々しいビンタだったけど
今まで育ててもらって、手をあげたことなどなかった母だったけど

まぎれもなく、最初でさいごの母のビンタでした。

しっかりしなさい
もう私はそばにいてあげられないのだから

そんなことを伝えたかったのかな
ねぇ、お母さん
きっとそうだったんだね