夏 父と母
2010.08.10 Tue
私にとって夏は父と母の思い出とつながっています。
両親は3年前の夏、たった3週間違いで他界しました。
父が逝き、その3週間後に母が後を追うように、私の前からいなくなってしまいました。
母は、欠点だらけの私を無条件で愛してくれた人で、その喪失感はとても大きなものでした。
亭主関白の父を支えながら、家業の商店の切り盛りも、4人の子どもの子育ても、一手に引き受けるたくましさを持ちながら、一方では、ほがらかで、晩年になってもふわふわ可愛い綿菓子みたいな人でした。

写真は私が二十歳の頃、両親と。
この頃、父はすでに体を壊し、入退院を繰り返していました。
母は懸命に看病しながらひとりで仕事に頑張り、私を下宿させた上で大学に通わせてくれました。
そして月日が流れ、小平に居を構えた私はNPOの世界に身を投じました。
父と母の容態が思わしくなく、危篤状態だった頃、私はMystyle@こだいらを立ち上げた翌年で、多摩らびの取材の真っ只中でした。
東京とふるさとの今治市を何度もいったりきたりしながら、それでも精一杯本作りにも頑張りました。
結果として多摩らび小平版は完売となり、その後の市民参加の本作りの足がかりをつくることができました。
多摩らびの取材協力のお話をいただたのが春。
完成した秋までに二度の葬儀。
私にとって、多摩らび小平版は父と母の形見のように感じます。
夏は父と母の出会いにつながる季節でもあります。
私は4人兄弟の末っ子で、両親にとって遅く生まれた子どもでしたから、両親は二人とも戦争経験者です。
父は終戦を台湾で迎えました。
出征前に神戸の手相見にみてもらったときに
「あなたは、最初に結婚した相手を大切にしなければいけないよ。」と言われたといいます。
終戦の日、台湾は晴天。
土ぼこりがまう道に立って、空を見上げて
『この空のしたに、オレの嫁さんがいるのかなぁ…』と、敗戦ではあっても生きて迎えた終戦に、そんな未来を思ったと、教えてくれました。
帰国後、母とめぐりあって結婚。
4人の子どもたちに恵まれて、生涯、今治のまちで暮らしました。
小さな頃から両親の働く姿を見て育ち、自営業のたいへんさを身にしみて感じていました。
一方で、商店街の人情や活気につつまれて、まち全体で育ててもらったという思いもあります。
それが、今のコミュニティビジネスの活性化を目指すMystyle@こだいらの活動につながっていることは間違いありません。
夏
父と母
静かなかなしみと
あたたかな思い出と
未来への決意と
そんなことがぐるぐる心を満たしている昼下がりです。